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#03『ナオン×ナオン』(ナオンの二乗)

「はぁ、こんなんじゃ絶対に痩せらんないよ」

フォークで切り裂いた分厚いステーキを頬張りながら、杏子はため息をついた。


「朝食に肉を食べると声が艶やかになる」

声楽科の教師にそうアドバイスされてからというもの、杏子の母親は朝っぱらからテーブルにステーキを並べるようになった。

初めは嫌々だったけれど、元々食欲旺盛な上に育ち盛りなのだ。朝食ステーキは、あっという間に杏子の習慣になってしまった。

端から見ているよりも、声楽はずっと体力を使う。それにまだ若いから代謝も良いので、辛うじてスリムとは言えないまでも何とか見苦しくない体型を保っているつもりだが、このまま歳をとったらと思うと、脳裏に浮かんだ将来の自分の姿に杏子は戦慄を覚える。

なのに件の教師が言う「歌手のカラダは楽器ですから。奥村さんはもう少し肉がついた方が良いですね」などという恐ろしいアドバイスを真に受けた母親は、せっせと朝から肉を焼く。

そして杏子の方も朝、ベッドの中で肉の焼ける匂いを嗅ぐと、食欲が抑えきれずにパジャマのままでフラフラとダイニングに向かってしまうのだ。






杏子の母親の理想はスーザン・ボイルだ。歌声だけで世界を魅了する姿にいたく感動したらしい。

それってあんまりじゃない? と杏子は思うのだ。

「素晴らしい歌声に可憐な姿だったら、なおいいじゃない」と、高校のカフェテリアでクラブハウスサンドを頬張りながら杏子はピアノ科の遥に愚痴る。

「可憐な少女はサンドイッチを2皿も食べたりしないわよ」とあきれ顔の遥に向かって杏子は反論する。

「三食きちんと食べることが美容には大切なの。お相撲さんなんて太るためにわざと一日一食なんだって」

乳脂肪分たっぷりのフラペチーノをズズッと飲み干すと、杏子は続ける。

「ね、今日の放課後、空いてる?」

「また伴奏でしょ。お断りよ。あたしだって自分の練習しなくちゃ」

「いいじゃない。あんたの練習にだってなるんだから」

「残念ながら課題曲が違いますので」

そう言い残して、遥はスープカップと小さなサラダボウルしか乗っていないトレーを持つと、さっさと立ち上がってしまう。

「…友よ…」

片手を伸ばして大げさにテーブルに伏せる杏子にクスッと笑うと、遥は小さく手を振ってカフェテリアを後にする。






遥にフラれて、杏子は一人でカラオケに行くことにした。

ムシャクシャしたときは独りカラオケに限る。大好きなYUKIちゃんの曲を思い切り歌うのは何よりのストレス解消になる。


「えっと、2時間…じゃなくて90分で」と言いながら受付カウンターに会員カードを出すと、店の奥がなにやら騒がしい。

「ったく、またあいつらか…。すみません、ちょっと待ってていただけますか」

そう言い残すと、会員証を受け取った店長はカウンターから出ていってしまう。

興味がわいた杏子は、柱の陰からそっと奥を覗く。






「おまえらいい加減にしろよ」

これはどうやら店長の声だ。店のロゴがプリントされたポロシャツ姿の店長の背中越しに、数人の若者たちが見える。

「すんませんっ! 今月ホントに厳しいんですよ。ライブまで時間無いし、今日だけ。ね、高木さん」

鼻ピアスの男の子が、両手を合わせて店長を拝む仕草で話している。

「何が“高木さん”だ。こんな時ばっかり調子いいんだよ、おまえは」

店長の声が、実はその口調ほどは怒っていないことに杏子は気づく。

「とにかく、練習だったらちゃんとスタジオでやれよ。キム、おまえがスティックで叩きまくるから、おまえらが使った部屋のテーブルは傷だらけなんだぞ」

キムと呼ばれた金髪の男の子はばつが悪そうにそっぽを向く。

「店長、そこをなんとか…」

今度は女の子の声。制服に見覚えがある。市立の子だ。

「こっちは商売でやってんだ。おまえたちの練習スタジオとして使わせるためじゃない。千絵、バイトクビにしたって構わないんだぞ」

「えーっ! そんなぁ…。高木さん、お願い。ギターマンなんだからさ、あたしたち若者を育てる義務があるんじゃないの?」

「ギターマンって呼ぶなよ。なんでオレがおまえたちを育てなくちゃいけないんだよ。…仕方ねぇなぁ…。1時間だけな。キムはスティック置いていけ」


ギターマン? 何のことだろう。それに店長の声、最後は少し嬉しそうだった気がする…。






「お待たせしちゃってすみませんでしたね。えーっと、お客さんは2時間でしたっけ?」

カウンターに戻ってきた店長が杏子の会員カードを見ながらPOSに打ち込んでいく。

「さっきの人たちって…?」

「あー、女の子いたでしょ。あれ、うちのバイトなんですけど、スタジオ代が無くなるとうちで練習しようとするんで困ってんですよ」

困っていると言いながら、店長はどこか嬉しそうだった。

「…ギターマンって…?」

「あー、その話はここでは内緒です。さ、そんなつまんないこと詮索しないでカラオケ楽しんでってくださいね」

そう言って伝票とフリードリンク用のカップを手渡すと、店長はカウンターの奥に姿を消した。






スマホアプリでお気に入りの曲を端末に送りながらも、杏子は先ほどの若者たちが気になって仕方が無い。

杏子が通っている音大附属高校にはピアスも金髪もいないし、バンドをやっている友達もいなかった。

普段は一人きりで盛り上がるカラオケが、今日に限ってはなんだか味気なくて寂しい。

カップに残ったオレンジジュースを飲み干すと、杏子は立ち上がった。






トイレに行く振りをしてさっきの若者たちを探す。

非常階段のドアの脇。一番奥まった部屋から微かにギターの音が聞こえる。どうやらここらしい。

中が見えないように窓が磨りガラスになったドアに耳を寄せて、中の様子をうかがおうと息を潜めていると、不意に後ろから声をかけられた。

「おい、なんだよ、おまえ」

慌てて振り返った杏子を金髪の若者が睨み付けている。

「えっと、あの…」

「ん? 音大付属のお嬢様かよ。なんか用か?」

「あの、さっき店長のこと“ギターマン”って…」

「あー、そのこと? 何、ギターマンに興味があんの? 教えてやるから入れよ、ほら」

「いや、興味っていうか…」

しどろもどろの杏子の背中越しに金髪がドアをグイッと押し開けると、そのまま部屋の中に押し込まれてしまう。

「いや、そうじゃなくて…あの…」






金髪と一緒に部屋に現れた杏子に、それほど驚いた様子もなく鼻ピアスが尋ねる。

「誰、おまえ?」

「えっと、あの…」

言葉に詰まってしまう杏子に、金髪が助け船を出す。

「ギターマンのこと知りたいんだってよ。な」

「えっと、そう。そうなんです。ギターマンって…」

「湊音大…。あたしが落ちた学校じゃん…」

杏子の制服を確かめて、店長に千絵と呼ばれていた女の子がつぶやいた。


「千絵、音大付属受験してたの?」

「うっさいな。ケンゴなんて高校中退じゃんか」

鼻ピアスがからかうように言うと、千絵がふて腐れたようにそっぽを向く。

「おまえ、付属でなにやってんの?」

「杏子。声楽科の2年。担任とお母さんにもっと太れって言われて嫌になってるところ」

金髪がプッと吹き出すとケンゴがそれを諫める。

「笑っちゃ悪いだろ、キム。なんで太んなくちゃいけないんだよ?」

「太っていた方がいい声が出るから。プロの歌手ってみんな太ってるでしょ」

「えーっ! 太ってる歌手なんてカッコワルイじゃんか!」

「オペラの歌手を見てご覧なさいよ。ああいう体型じゃないと豊かで艶やかな声が出せないのよ」

話しながら、杏子は空いているソファに勝手に腰掛ける。


「艶やかかどうかは知らないけど、迫力があってセクシーな声だったら、スリムな人だっているよな」

「出た! ケンゴの年増趣味! また寺田恵子だろ」

「悪いかよ! 寺田恵子のボーカルが理解できないなんて、おまえ何年バンドやってんだよ」

キムとケンゴが、杏子を放ったらかしてやりあっていると、千絵がコーラの入ったカップを手渡してくれる。

「あたしも寺田恵子のボーカルは大好きだよ」

「寺田恵子って?」

「知らないの!? SHOW-YAのボーカル。めちゃくちゃカッコイイのに」

「なんだ、知らないのかよ。じゃ、聴かせてやるよ。キムはドラムが無いから…そこのジャンベでも叩けよ」

そう言うと、どこからか勝手に持ち込んだアンプにケンゴがベースを繋ぐ。

「お願いだからボリューム下げてよ。今度こそあたしクビになっちゃう!」

「大丈夫、大丈夫」

お構いなしにアンプのスイッチを入れると、ケンゴはボリュームノブをグイッと捻る。

ガリガリッ! ブーブー、ブーワンッ!!! バキン、バキン…。

突然の盛大なノイズに、杏子は思わず耳を塞ぐ。






そのとき、カチャリとドアが開いて、店長が入ってきた。

「お待たせしたお詫びに、と思ってお客さんとこに行ってみたら姿が見えなかったから。やっぱりこっちに来てましたか」

店長の手には料理の乗ったトレイがある。

「『平日限定・独りカラオケスペシャル』だ…」

杏子は、いつか注文したいと思っていたポテチとシュリンプカクテルと生春巻きとチーズ盛り合わせとハーゲンダッツにウェルチの100%グレープジュースの乗ったトレイから目が離せなくなった。

「音大付属のお嬢さんが、こんな連中とつきあったって、いいことなんかありゃしませんよ」

店長は苦笑いしながらトレイをテーブルに置くと、すかさず伸びてきた千絵の手をパチンと叩いた。


「ね、北条さん。この子SHOW-YA知らないんだって。ちょっと聴かせてやろうと思って」

「相変わらず好きだな、ケンゴも。『限界LOVERS』か?」

「いや、あのイントロはまだ弾けない…。『ONE WAY HEART』は?」

「悪くないなぁ。って、ドラムはどうすんだ? ドラムが無かったらSHOW-YAはカッコつかないだろ」


すると、早くも囓りかけの生春巻きを片手に杏子がおそるおそる会話に加わる。

「あ、あたしReBirthもってる…」

「ReBirthって?」

「シンセ。ドラムマシンも入ってるから…」

杏子はそう言いながら鞄の中からiPadを取り出すと、ReBirthを立ち上げて手早くセッティングしていく。

「さすが音大付属。いいもん持ってんな。キム、杏子に教わってセットしろよ」

ゴチャゴチャとしたインターフェイスを操作して、プレイボタンを押すと杏子のiPadからリズムトラックが流れる。

「よしっ! やろうぜ。北条さんもギターね」

「おれもやんのかよ」

「やりたいでしょ、ソロ。早く持ってきなよ、自分のギター」

頭をかきながら部屋を出て行く店長のまんざらでも無い様子が、杏子にはたまらなくおかしかった。






「…スリー、フォッ!」

千絵のカウントに合わせてキムがシンセを操作する。


I don’t wanna come alone

l don’t wanna cry again

You’ll never be without


千絵の歌い出しから一転、ケンゴのベース。千絵のギターに店長が続く。


*通り過ぎてゆくリムジン見つめた on the road*

*探したtruth*

*誰もが独りで帰ってゆくのさ sweet home*

*やり直すため*


店長のソロになった。

お世辞にもスリムとは言えない中年親父なのに、何故だかもの凄くカッコ良く見えるのが、

杏子には不思議でならなかった。


*ONE WAY HEART 戻れなくても*

*ONE WAY HEART 届かなくても*

*ONE WAY HEART 走り続けるよ My heart*


気づけば杏子は千絵のボーカルに合わせてサビを口ずさんでいた。

学校の授業とは全く違う、発表会でも感じたことのない高揚感だった。

杏子が歌っていることに気がついたキムが、もう一本のマイクを手渡してくる。

チラッと千絵を見ると、頷きながら杏子を誘っているように見えた。


*ONE WAY HEART その時だけが*

*ONE WAY HEART すべてになれば*

*ONE WAY HEART あとは涙でもいい*

*So take my heart*

**

と、そこで突然立ち上がったキムが、「ウォーッ!」と叫んでマイクのケーブルを引き抜いた。

「俺は全然面白くねぇぞーっ!」


一瞬呆気にとられたみんなが、一斉に笑い始める。

「そりゃそうだよな」

「本当だ。キムだけ出番が無いもんね」

「わかった、わかった。やっぱ、ちゃんとスタジオ行こう」

「じゃ、高木さんのおごりってことで…」

「バカやろう、なんでオレのおごりになるんだよ」

「あれあれぇ、あんなに気持ち良さそうにソロ弾いてたくせに…」


そこでふと気がついた杏子が店長に尋ねる。

「あのー、お店の方は大丈夫なんですか…?」


一瞬で真顔になった店長が、慌てて飛び出して行くと、さもおかしそうにケンゴが言う。

「あーあ、潰れるんじゃねぇの、この店…」

「そうかもね。新しいバイト先探した方がいいかもね…」

神妙な面持ちの千絵が答えると、キムが割って入る。

「なぁ杏子、まだオレのドラム聴いてないんだからな。このまま帰るとか言うんじゃねぇぞ」

「どうしよっかなぁ。あたしのReBirthよりもいい音聴かせてくれるんでしょうね」

からかうようにそう言うと、杏子はいたずらっぽく笑った。

「あ、そうそう、ギターマンの秘密もまだ聞いていなかったんだ」

今度はキムが杏子をからかう番だった。

「それは簡単には教えられないなぁ」

キムは杏子に向かって、ニヤリと笑ってみせた。

作家: 大塚屋